東京インフラ048 岩淵水門
隅田川と荒川放水路の分岐点につくられた水門。増水時に水を放水路に分派し、隅田川の氾濫を未然に防ぐ。<骨>の結節点につくられた、<関節>のようなものである。 荒川放水路工事を担当した青山士(あきら)が手がけた水門は、198 […] ...
東京インフラ003 丸の内仲通り
辺り一面、草ぼうぼうの原野。今では全く想像できないが、かつて三菱ヶ原と呼ばれた頃の丸の内の姿である。 丸の内は、日本最初の近代都市計画である市区改正計画で、官庁街にするか、商業地にするかの議論の末、渋沢栄一の強い意見によ […] ...
東京インフラ040 メトロ銀座線
浅草・上野間2.2kmの区間に、この東洋初の地下鉄は建設された。今なら乗車わずか5分の距離。このわずかな区間を足がかりにして、世界有数を誇る地下ネットワークが築かれていった。 「地下鉄道は余りに散文的である。最も近代的な […] ...
東京インフラ031 秋葉原
南北と東西の2本の高架鉄道が交差する町。もともと、地元の反対を押し切って、地表を走っていた南北の鉄道(現在の京浜東北線)が、鉄道国有化後の1925年に高架化され、その上を乗り越えるように総武線がつくられた(1932年)。 […] ...
東京インフラ078 品川
都心を出発した東海道の道路と線路の2本の太い<血管>が、最初に交差する場所。それが品川である。 1872年に初めて鉄道が通ったときから、この2本のインフラは、立体的に交差してつくられた。街道の一部をなす跨線橋・八ツ山橋の […] ...
東京インフラ074 大橋ジャンクション
37か所ある首都高のジャンクションの中で、壁で覆われたジャンクションはここくらいだろう。 当初、東名高速道路と渋谷を結ぶ首都高3号線と、山手通り沿いを走る中央環状線は、高架のジャンクションで連絡することになっていた。しか […] ...
東京インフラ028 聖橋
「江戸・東京は、地名や橋の名のつけ方に洒落っけがある。北に孔子を祀る湯島台があって、南の神田駿河台にはニコライ堂(ロシア正教)がある。そこをむすんでいるから聖橋だという。」(司馬遼太郎) 名前は公募によりつけられた。「ひ […] ...
東京インフラ052 奥多摩橋
多摩川では、青梅を基点に扇状地が広がる。奥多摩橋は、その扇頂よりやや上流に架かる。多摩川を<背骨>とするならば、<骨盤>あたりに架かる橋といえよう。 そこには深い渓谷が広がり、トラスとアーチを組み合わせたブレースドリブ・ […] ...
東京インフラ001 皇居
太田道灌の築城から徳川幕府の江戸城、大政奉還後は皇居と、連綿と栄養を吸収し、今や東京の<肺>であり象徴の森となる。 道灌時代、関東に広がる巨大な洪積台地が海に向かって突き出した江戸前島の境界地帯に建てられた江戸城は、徳川 […] ...
東京インフラ023 常磐橋
明治のはじめ、都市近代化の主な担い手は、政府に雇われた外国人技術者・お雇い外国人であった。彼らは、鉄道、水道・下水道、煉瓦構造物など、日本人が見たこともないインフラを次々と東京にもたらした。それは、まさに文明開化の風景で […] ...