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いつものまちが博物館になる

土木と文明

第6章 橋梁デザインの多様性

2018年8月1日/未分類
『百橋一覧図』北斎画 太田記念美術館所蔵

第6章 橋梁デザインの多様性

6-1 江戸時代

江戸時代の橋というと単純な桁橋が思い浮かぶが、実は全国を見渡せば、今とは異なる多様なデザインの世界が広がっていた。それらは日本の風景を彩り、北斎、広重の描く風景画の重要なモチーフにもなった。ここでは、先人の美意識が具象化された、伝統的な橋梁美の世界を見ていきたい(北河)。

北斎が夢想した橋梁群

ある秋の日に、北斎の脳裏に浮かんだ橋の幻影を一枚に収めた想像画。百余の橋梁群が、奇岩を縫うように配された鳥瞰図で、桁橋(二重橋も含む)、刎橋、アーチ橋、舟橋、吊橋など多様な構造形式を確認できる。(北河)
「百橋一覧図」北斎画、太田記念美術館所蔵

諸国名橋奇覧

「百橋一覧図」の約十年後に刊行された北斎による著名橋八橋を描いた風景画。とりわけ左の「足利行道山くものかけはし」は、ライズを極端に抑えた近代的シルエットが印象的。(北河)
「諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし」北斎画、神奈川県立歴史博物館所蔵

橋梁の番付

江戸後期の橋の長さ比べ番付。諸国名橋奇覧にも描かれた岡崎の矢矧橋と錦帯橋が東西の大関(当時は大関が力士最高位)とされる。計229基の橋が記載され、数は大坂と江戸の橋が圧倒的に多い。(北河)
「日本大橋盡」三井文庫所蔵

独創的な構造デザイン

橋梁番付で西の大関とされた岩国錦帯橋。ライズを抑えたスパン約40mのアーチ3連と、両側の桁橋からなる。図面には、アーチ部分が描かれ、左半では振れ止め効果をもつ鞍木、助木が強調されている。大規模スパンを実現するために、様々な独創的な工夫が施された江戸期を代表する構造デザイン。(北河)
「錦帯橋掛替図面」岩国徴古館所蔵

日本の奇橋

近世には、渓谷を一跨ぎするのに刎橋の形式がしばしば用いられた。本図はその代表例といえる富山の愛本橋と山梨の猿橋。通常の桁橋形式と大きく異なる刎橋でつくられ、当時から奇橋として知られていた。(北河)
上:「愛本橋(巻物)」黒部市教育委員会所蔵、左:「甲陽猿橋之図」広重画、山梨県立博物館所蔵

舟橋

大規模河川を横断する技術的限界を克服するために、江戸期には舟橋形式がしばしば採用された。それは、川に舟を連ねて桁を渡す特殊な構造で、近代以降もしばらく利用された。自然の力をうまくいなしてつくるインフラ施設。写真は東の小結・越中富山船橋の明治初期の状況。(北河)
「越中富山旧船橋之図」富山市郷土博物館所蔵

科学的精神の具象化

九州には、数多くの石造アーチ橋が建設された。琉球の石橋を含めれば、その歴史は16世紀にまで遡ることができる。通潤橋は江戸時代末期に築造された大規模石造アーチ橋。かんがい用水が川を跨ぐ場所につくられた水路橋で、サイフォンの原理が使われている。実現に向けて、大型モデルをつくり実験を行っていたことも知られており、江戸時代の技術者の科学的精神を辿ることもできる。(北河)
西山芳一撮影

6-2 明治から現代へ

近代化の流れの中で、新たな材料や技術を駆使した橋が全国各地に建設された。そして今や日本の国土には、道路橋だけでも約70万基にのぼる膨大な数の橋が存在するに至った。この約一世紀半に及ぶ歴史の中で、人々の美意識も変化し、それに呼応して各地の橋梁デザインも変容していった。ここでは、その代表的な例を年代順にいくつか紹介したい。(北河)

日本橋

明治44年造、東京都。全国の国道の起点。西洋風のデザインを基調としながらも、江戸の歴史を寓意化し、伝統も強く意識された石橋。構造は石造二連アーチ橋で、内側には煉瓦も使われている。(北河)
西山芳一撮影

八ツ沢発電所第一水路橋

明治45年造、山梨県。猿橋の脇に位置し、猿橋水路橋とも呼ばれる。周囲の伝統的景観をできるだけ損なわないよう、梁と柱からなる伝統的軸組み構造を意識してデザインされた最初期の鉄筋コンクリート造の水路橋。我が国最初期の構造デザインでもあり、同時期につくられた日本橋とよい対照をなす。(北河)
西山芳一撮影

神宮橋

大正9年造、東京都。明治神宮の参道上にあるため、歩く人の目線を重視して、橋であることを意識させないように、高欄部分に植栽が施された。下には山手線が走る。(北河)
土木学会所蔵

南河内橋

大正15年造、福岡県。豊かな自然に映える、アーチ構造と吊り構造を合わせて幾何学的な造形美を創出したレンティキュラートラス橋。官営製鉄所用の貯水池建設の一環として建設されたもので、ダム、水路橋などとあわせて、一体的な環境デザインが行われたことでも知られる。(北河)
土木学会所蔵

萬代橋

昭和4年造、新潟県。変垂曲線を用い、力学的合理性に基づく新たなアーチ美を実現した、信濃川に架かる鉄筋コンクリート造橋梁。震災復興で橋梁デザインの新たな境地を切り開いた技術者集団が設計した。(北河)
平野暉雄撮影

河童橋

昭和5年造、長野県。上高地の雄大な山岳景観にあって、樹木・水面の広がりや山並みの律動との形態的な調和が追求された吊橋デザイン。(北河)
西山芳一撮影

一斗俵沈下橋

昭和10年造、高知県。増水時に水没することから沈下橋と呼ばれる。集落の伝統的な橋梁がかつて具備していた、地形に収める飾り気のない造形を受け継いでいる。(北河)
西山芳一撮影

長浜大橋

昭和10年造、愛媛県。舟運を考慮して可動橋として建設された。片側が開く、単葉式跳開橋米国の橋梁事務所で数多くの設計に携わり、戦前日本の橋梁デザインに新たな息吹を吹き込んだ増田淳事務所の設計。(北河)
西山芳一撮影

勝鬨橋

昭和15年造、東京都。長浜大橋と同じく可動橋として建設。当初は、装飾的なタワーの付いた橋や、アーチ部分にトラスの使用した橋など複数の案が検討されたが、最終的に震災復興橋梁のデザインの精神に通じる質実剛健なデザインが採用された。時代を隔ててつくられているが、永代橋とデザイン的な調和が図られている。(北河)
西山芳一撮影

西海橋

昭和30年造、長崎県。第二次世界大戦後の物資が乏しい時代、丁寧な部材構成により、材料を節約しながら、シャープな造形を実現した大規模アーチ橋。海峡をまたぐ長大橋のはしりとしても貴重な存在。(北河)
西山芳一撮影

横浜ベイブリッジ

平成元年造、神奈川県。建設当時最大規模の斜張橋として建設された。近代化を牽引した横浜の新たなランドマークとして知られる。(北河)
西山芳一撮影

であい橋

平成5年造、岐阜県。白川郷に建設される。存在を主張しない、風景に溶け込む素朴な造形が、近代的な工法によってつくりだされている。(北河)
大日コンサルタント株式会社所蔵

イナコスの橋

平成6年造、大分県。上弦材にプレストレスを導入した花崗岩、下弦材に平鋼を用い、その間を細い鋼管でつなぐことで、シンプルかつ洗練された造形を実現している。(北河)
株式会社川口衞構造設計事務所所蔵

牛深ハイヤ橋

平成9年造、熊本県。細部までよく練られた弓状の桁橋で、独特の視覚的緊張感が生み出されている。(北河)
西山芳一撮影

明石海峡大橋

平成10年造、兵庫県。第二次世界大戦以降、わが国が推進した長大橋建設の一つの到達点を示す。(北河)
西山芳一撮影
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