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いつものまちが博物館になる

土木と文明

コラム

2018年8月22日/未分類
『百橋一覧図』北斎画 太田記念美術館所蔵

技術者の育成と学会の役割

西洋の先進的な科学理論や技術を積極的に導入するために、明治政府は土木を含む工学分野で教育施設の充実を図っていく。そして技術者の卵には、西洋流の進歩の精神と理論・技術がたたき込まれる。彼らは、卒業後も交流を続け、新たに立ち上げた工学会という組織で、継続的に幅広い最新情報を得ていき、それは後の土木学会設立へと繋がっていく。ここでは、近代文明の礎を築いた技術者の育成と学会の役割について見ていきたい。(北河)

工部大学校

わが国最初期の高等工学教育機関・工部大学校の都検を務めたスコットランド人技術者ダイアーは、当時の英国での土木教育に関わる議論を反映して、理論と実地のバランスを考慮したカリキュラムを導入した。そして琵琶湖疏水の田辺朔朗を典型として、卒業と同時にプロジェクトを主導することができる学生を多数輩出した。(北河)
『工部大学校史料』所収

工学会と土木学会

工部大学校一期生は明治12年(1879)に工学会を組織し、技術者同士が、現場や海外の最新情報を交換する媒体として工学叢誌(後の工学会誌)を刊行する。当時ダイアーは、工学会を英国のInstitution of Civil Engineersと並列的になぞらえていたが、工学会発足35年後の大正3年(1914)には、より直接的に土木学会Civil Engineering Society(現Japan Society of Civil Engineers)が設立される。(北河)
左:『工学会誌 第一巻』、右:『土木学会誌 第一巻第一号』

古市公威と総合性

土木学会初代会長古市公威は、学生時代から国家的エリート集団のリーダー格であり、社会に出てからも、産官学の幅広い分野で近代化を牽引した。彼の技術者像は、専門の枠に収まらず、幅広い知識を駆使して「指揮者」として活躍するよう訴えた土木学会会長講演に端的に示される。写真は古市(後列右から3番目)が、原口要や平井晴二郎といった工学関係者だけでなく、小村寿太郎、鳩山和夫らと共に派遣された第1回文部省貸費留学生の記念写真。(北河)
「第1回文部省貸費留学生記念写真」『古市公威』所収

国家的・社会的課題の解決に向けて

大正期、学問が専門化、高度化し、かつ、社会の発展に対する科学技術への期待が高まる中で、専門を異にする技術者が協力して、国家的課題に対処する傾向が高まる。古市が会長を務めた万国工業会議は、まさにこうした時代の潮流を象徴する当時最大級の国際会議であった。工学会の使命も、単なる情報交換の場から、産官学の多様な主体が連携して、複雑な社会的課題の解決に寄与する組織へと変化し、その精神は今の土木学会にも受け継がれている。(北河)
上:「万国工業会議主要関係者集合写真」土木学会所蔵、古市は前列左から9人目
左:土木学会等平成25年伊豆大島豪雨災害緊急災害調査団
右:土木学会等平成26年広島豪雨合同緊急調査団

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