東京インフラ053 小河内ダム

奥多摩の人造湖


東京では、都市の成長に合わせて極めて短いスパンで水道拡張工事が行われた。1911年に玉川上水を改良して近代創設水道が完成すると(羽村取水堰の改築はその成果の一つ)、わずかその2年後に第1次拡張工事に着手され(その成果が村山・山口貯水池)、さらにその完成を待たずして第2次拡張工事が実施された。1936年のことである。

第2次拡張工事の検討段階では、渇水リスクを軽減するために、多摩川だけに頼るのではなく、利根川や荒川も新たな水源とする案も出されていた。しかし、都外であることと水利権などの問題から、結局多摩川の最上流部にダムを築いて、渇水時でも安定的な水供給を行うためのシステムの強化が図られた。こうしてつくられたのが、今なお都内最大で、着工時には国内最大のダムだった小河内ダムの建設である。

「必ず座っていける電車の外の景色は、季節ごとに変化する木々の姿が美しい。透き通るような青葉の季節もあれば、燃えさかるような紅葉の季節もある。・・・私は奥多摩に向かうたびに「東京への旅」をしているのだなという喜びを味わうことになった。もっとも、この奥多摩湖、成り立ちは貯水用の人造湖でも、その周辺にはやはり深い自然が残されている。」(沢木耕太郎)

ダムの迫力もさることながら、この東京の秘境に至る道のりも見所が多い。ここは東京都の最奥部。今は、奥多摩駅で電車はとまっているが、かつてはそこから先にダム建設に使われた都の専用鉄道がとおり、鉄筋コンクリート造のアーチ橋が、周辺の渓谷美と調和する風景を作り出していた。

なお、戦後の高度成長期には、この巨大なダムをもってしても東京の成長を支えることはできなかった。東京オリンピック直前には「東京砂漠」とよばれる大渇水も経験した。こうして、東京の主な水源は、関東平野の<背骨>利根川水系へと移行していく。(北河)
 

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引用
沢木耕太郎:野生の証明、『トランヴェール』、JR東日本、2016.6.

種別 上水道ダム
所在地 東京都奥多摩町
構造形式 重力式コンクリート造 
規模 堤長353m 堤高149m
竣工年 1957年
管理者 東京都
設計者 東京都
計画概要建設概要
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