東京インフラ013 荒川放水路

大河の風格


今は荒川の本流だが、もともと隅田川から分岐する水路として人工的につくられた。世紀のプロジェクト・パナマ運河の建設に携わった唯一の日本人技術者・青山士(あきら)が指揮して、この東京の大工事は完成した。長さはパナマ運河の約1/4だが、幅は約500mとパナマを大きくしのぐ。

パナマ運河が太平洋と大西洋を繋ぐ長大な<血管>だとすれば、荒川放水路は舟運を中心とする<循環器系>を支える<血管>の役割を果たしながらも、東京の<背骨>(隅田川)を補強する擬似的な骨格でもある。ここまでくると、東京も人体というより、サイボーグのようなものである。

明治中期にはすでに地元から要望が出ていたにもかかわらず、工事が後回しにされてきた荒川放水路は、1910年に関東一円を襲った大水害を契機として着手された。宿場町千住を避け、市街地を大きく迂回するこの大放水路の建設に挑むため、内務省はパナマから帰国した青山を工事にあて、現場を任せた。

彼は、異国で習得した先端技術をここで実践し、大河の風格ある人工河川を東京に生み出した。ここでの経験は、のちに信濃川の改修にも生かされた。

「万象に天意を覚る者は幸なり、人類の為め、国の為め」

信濃川放水路(大河津分水路)のほとりに立つ、日本語とエスペラント語で刻まれた記念碑。記名はないが、世界を股に掛けて記念碑的な大工事をやり遂げたクリスチャン青山の言葉であることを疑う者は、ほとんどいない。(北河)
 

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種別 放水路
所在地 東京都江東区・江戸川区・墨田区・葛飾区・荒川区・北区・足立区 埼玉県川口市
構造形式 土構造
規模 延長22km
竣工年 1930年
管理者 国(国土交通省)
設計者 国(内務省)
建設概要建設写真青山士アーカイブ
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