東京インフラ083 御所トンネル

御所をくぐる<大動脈>


現在の中央本線の前身となった甲武鉄道市街線は、新宿から東京の都心をめざして線路を延ばした。東京都心を<心臓部>として<血管>を放射状に郊外へと延ばした鉄道が多かった中で、郊外から都心へ向かって<血管>を延ばした鉄道が甲武鉄道市街線であった。

甲武鉄道市街線の建設にあたっては、新宿~飯田町間を甲州街道沿いとするか、千駄ヶ谷~信濃町経由かで意見が分かれた。会社側は需要が見込まれる甲州街道沿いのルートを期待したが、当時、青山練兵場からの軍隊輸送のために必要という陸軍側の要請によって、現在のルートが実現した。

このため、御料地(東宮御所-現在の迎賓館-)の下にトンネルを設けざるを得なくなり、敷地の一部をかすめて1894(明治27)年に複線断面(現在は単線で使用)の旧御所トンネルが完成した。さらに大正時代末になると、中央本線を複々線化する工事が開始され、西側に3線を通す新御所トンネルが1929(昭和4)年に完成した。

新旧の御所トンネルは、どちらも開削工法で施工されたが、明治時代のトンネルは煉瓦造による馬蹄型断面で、昭和時代のトンネルは、煉瓦に代わる新しい材料として鉄筋コンクリート構造を採用し、断面も鉄筋コンクリート構造の特徴を活かした函型断面となった。複線断面で完成した旧御所トンネルは、現在では中央本線の下り緩行線のみが単線で使用しており、他の3線は新御所トンネルを使用している。

甲武鉄道は、外濠や見附といった江戸時代のインフラを巧みに利用して踏切の無い都市鉄道を実現し、1904(明治37)年には電車を走らせるなど、新しい時代の鉄道のモデルとなった。甲斐国(山梨県)と武蔵国(東京都)を結ぶことを目的として設立された甲武鉄道であったが、都心をめざしたことによって東京の東西を結ぶ<大動脈>が形成されることとなった。(小野田)
 

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種別 鉄道トンネル
所在地 東京都新宿区
構造形式 煉瓦造(旧) 鉄筋コンクリート造(新)
規模 延長317m(旧) 385m(新)
竣工年 1894年(旧) 1929年(新)
管理者 JR東日本
設計者 甲武鉄道株式会社(旧) 国(鉄道省)(新)
建設概要
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