東京インフラ042 上野台地の崖線

太古の地球温暖化の名残り


台地と低地のせめぎあいがつくりだす優美な曲線。しなやかな鶴の首を想わせる。氷河期後の地球温暖化によって、氷が溶け出して海面が上昇し、押し寄せる波が長い時間をかけてこの崖を作り出した。

京浜東北線は、この崖下を上野駅から赤羽駅まですり抜け、山手線は田端駅あたりでこじ開けて、山の手に戻っていく。東京の活動を支える<血流>が、この地形を土台にして<人体>にいきわたる。


 

この崖は、東京の都市の性格を分断する境界でもあった。

「江戸の町は非常に計画的に造られている。大きく分けて現在の京浜東北線の東側は下町で、碁盤の目のように東西、南北の道が直交しており、主に町人の町だ。これに対して西側は山の手で、台地と谷の地形から成っており、尾根筋に東西の道その両側に大名屋敷そして谷にわずかに町人が住むという配置だ。」(タモリ)

「線路はかつての上野半島の裾野を回り込むようにして走り、その岬の突端に駅ができたわけである。(上野駅)東口にあたる下谷のあたりは、いつまでもじめじめした湿地帯の風情をただよわせていた。」(中沢新一)

昔、人々は線路を横断して、この崖を上り下りしていた。しかし交通の増加に伴い、線路をまたぐ橋が築かれた。そのひとつ、飛鳥山下跨線人道橋は、わが国で最初の公園の一つ・飛鳥山公園(1873年)を王子駅と結ぶ。かつての<血管組織>の一部である古レールを<移植>して、組み立てた、瀟洒なアーチ橋である(1925年)。(北河)

この物件へいく
引用
タモリ:タモリのTOKYO坂道美学入門、講談社、2004.
中沢新一:アースダイバー、講談社、2005.

種別 崖線
所在地 東京都台東区・荒川区・北区
規模 延長約10km 高低差約20m
もっと知りたい
Back To Top