ドボ博 学芸員の部屋 009

“山田守”と“ドボク”〜前編:“橋”編

[注意]
このレポートは、建築担当かつ“歩きテクト”のドボ博学芸員K.U.が建築・街歩き目線で土木を語る、“個人的視点”に基づくものである。

 

■いま“山田守”がキテる!?

ドボ博打合せ終了後の、とある居酒屋でのこと。

(私)「山田守の自邸公開(4/12〜4/23)に行った人います?」
(館長)「行きましたよ(さすが館長!)」
(私)「青山大学横の蔦珈琲のところですよね??」
(館長)「でも、今回は普段入れない上の階が見られたから(やはり、そうだよね・・・)」
(私)「最終日に行った人が、入れないほど人が凄かったと言ってたけど。」
(館長)「やはり、すごい混んでましたよ(そんな人気だったのか!!!)。」
公開期間が短くて行きそびれてしまったが
やはり山田守はキテいたのか!?
俺はとんでもないミスを犯したのでは!?!?

というわけで、私は現存する山田守の作品を見て回ろう、と決心したのであった。

山田守の自邸(1959年竣工)。左の鉄扉が住宅入口。蔦珈琲の入口は右側の蔦の隙間から(名前通り!!)。
蔦珈琲は、当初ピロティだった場所に増築されたもの。美しい庭に面した、落ち着いた珈琲店。
建物は小さいものの、「Y字型平面」「交差部螺旋階段」など山田守のエッセンスが詰まる。

 

■わずかに生き残る“山田守”の作品

しかし“山田守”と言えば日本近代建築の草創期を支えた建築家の一人。

復興局で永代橋建設に関わったのが1926年(大正15年)で、山田守が亡くなってから今年で50年(それを記念して自宅を公開したのだが)。逓信省〜山田守建築事務所の時代に作った作品も長い時間が過ぎ、取り壊されたものも少なくないはず。没後40年の時に行われた展示会のときに現存する作品が少なくなってきていることが指摘されていたが、それから10年経つと、果たしてどれくらいの作品が残っているものか。

不安を抱えながらも、とりあえず作品集のリストなどをもとに土木に関連した作品(ドボ博ですから!)を見に行くこととした。

東京で見られる山田守の建築といえば、やはり“日本武道館”でしょう。
大きな玉ネギ(擬宝珠)が載ってます。屋根のシルエットは、富士山を意識してるとか。

 

■“山田守”と“土木”

“山田守”と“土木”といえば、大きく2つのタイプがある。

1つ目は、関東大震災の復興局のときに携わった“橋”。1920年に大学卒業した後のまもない時期の作品であるが、東海大学に残るリストを見ると、“永代橋(1926年竣工)”“聖橋(1927年竣工)”“神田橋(1925年竣工)”の3つがある。“永代橋”“聖橋”では、基本的には助言者として関わったものと思われ、“永代橋”の設計をした田中豊、竹中喜義、“聖橋”では成瀬勝武にデザインのアドバイスをしていたとも思われるが、具体的にどのようなことをどのレベルまで行ったかはわからない。“永代橋”においては、山田守とともに建築家の山口文象もデザインに関わっているが、山口が照明に関わった記録が残る程度で、2人がどのような役割を果たしていたかはよくわからないらしい。特に“神田橋”については山田守の関わった作品リストに入っているものの、関与の内容は全くわからない。

2つ目は、逓信省退職後に山田守建築事務所を設立し、事務所が軌道に乗った後の後期の作品で、“水道”の関連施設があり、現存するものとしては“東京都水道局長沢浄水場(1957年竣工)”“和田堀増圧ポンプ所(1958年竣工)”“代々木増圧ポンプ所(1960年竣工)”“尾久ポンプ所”がある。大宮司勝弘氏らの研究(『山田守設計による長沢浄水場のデザインに関する研究』)において東海大学「教職員業績調書」による山田守の水道施設の実績として挙げられたものはが16施設あるが、現存しているのはすでに上記の施設のみである。(そして今回見に行った“和田堀増圧ポンプ所”は、すでに解体工事が始まっていた!!)

まずは、年代の古い“橋”シリーズから見にいくぞ!!

 

■“聖橋”で出鼻をくじかれる

聖橋
竣工 1927年(昭和2年)
設計 成瀬勝武。山田守は意匠面で助言したといわれる。

 

東京インフラ028 聖橋」からスタート、と決め込み御茶ノ水駅で降りる。が・・・・

なんてことだ!!

聖橋が全く見えない!!!

ドボ博のプレオープニング企画で堀の護岸補強工事をしていたのは意識していたが、久しぶりに行ってみると、なんと“聖橋”本体の改修工事で橋が囲われてまったく見えないではないか!!

ちなみに、ドボ博プレオープン用撮影の時に堀の船上から撮った様子はこんな感じ。

橋上に登ってみると、工事の案内が出ていた。
平成27年8月21日〜平成29年8月31日までの工事。まだまだ長いではないか。

しかし仮囲いで見えないからといって挫けてはいけない。見える部分だけでも見なくては!!
“聖橋長寿命化工事”は堀の上の部分だけなので、両サイドの道路と線路の上の部分は見ることができる。

道路の部分を見ると“パラボラ(放物線)・アーチ”が繰り返されているのがわかる。歩道と車道を仕切る壁部分にもパラボラ・アーチが連続するのが綺麗だ。

車道の上の部分は鉄骨の梁が掛かる。アーチ部分は鉄筋コンクリート造なので、ハイブリッド構造の橋とも言える。上の道路と下の道路は直角ではないのもわかる。

そして、車道と歩道の間の隔壁スリットのアーチは、上の道路に沿って開けられているため、壁に対して斜めにくり抜かれている。にくいデザイン。視線に動きが生まれる。

実際に見ていてもう一つ気になったのは、

このアーチの両端の形、微妙に違わない?

ということ。どうでしょう。手前は縦長で、奥は円形に近いように見える。もし本当なら、これも相当凝ったデザイン。

線路側にも回ってみた。中央線の新宿方面の電車がアーチの下を通る。

よく見ると・・・・

橋の手前にもパラボラ・アーチを発見!!

聖橋では、繰り返しパラボラ・アーチを見つけることができるのであった。

ところで、山田守といえば“パラボラ・アーチ”というイメージが強いが、この曲線は本当に放物線なのだろうか?

山田守の初期の代表作である“東京中央電信局(1922〜1925年)”でも“パラボラ・アーチ”が印象的だが、本当の放物線であると、垂直の線とスムーズに繋がりにくいので、擬似的な線なのだろう、とぼんやり考えていた。しかし、こうやってパラボラ・アーチをたくさん見ていると、どのように線を描いているのか知りたくなる。

ここでもう一度整理しよう。

 

1:“パラボラ・アーチ”は垂直の下部の柱とスムーズに繋がらない。

2:垂直線とスムーズに繋げるなら“楕円曲線”がふさわしいのではないか。

3:構造的に下部にスムーズに伝えるならば“懸垂(カテナリー)曲線”という手もある。ただし、これも垂直の下部の柱とスムーズに繋がらない。

※もちろん垂直線と繋がらない場合は1、3でも問題ない。

こんなことを考えながら資料を探していると、すでに東京大学の岩岡竜夫先生が、山田守式パラボラ・アーチの描き方について書いていたので紹介する(参照:『建築家山田守作品集』P.19)。

左が、山田守さんのご子息である達郎さんの言葉を元にまとめた作図方法だ。縦方向は等分割で、横方向の分割線を円弧に対応させたのが特徴で、この横方向も等分割にすると放物線となる。右図において楕円、放物線と比較しているが、放物線と楕円の中間的な線が描け、垂直線ともスムーズにつながるのがわかる。答えとしては、1〜3のどれでもなく、“山田守独自の線”(あくまで個人的な感想です)ということになる(他の説もあるようだが)。純粋に幾何学的な(現代的に言えばアルゴリズミックな)操作による曲線であるところが素晴らしい!!(くどいですが個人的な感想です)

 

もう一つ、復興局の図面(東京都提供)を見ると、上とは異なる作図法が示されている。

図面提供:東京都

この図は中央の大きなアーチではなく、両脇のスパンドレル部のアーチの作図法であるが、山田守の描き方と同様、幾何学的な操作により作図されている。円弧から垂線をそのまま下ろさないので、外側に膨らむ線となる。

これも最初の図と高さ・幅を揃えて描き直して比較してみる。

比較すると、楕円の線と近く、楕円よりも少し膨らんだ線となるようだ。

 

ちなみに、東京中央電信局の時点では図面(参照:『建築家山田守作品集』P.54)から読み取ると、下図のように数本の円弧を組み合わせて擬似的なパラボラ・アーチを描いていたことがわかる。

しかし擬似的な線には、やはり意識的な操作が入る。似せる図形の原型は何か、何分割するか、一つの分割の角度は、等々どうしても恣意的なものが入ってしまうのだ。その点、最初の2つの図法はかなり洗練された手法と考えられる。

 

(またまた個人的な見解だが)設計時期などを考えると、最初期の近似値的な図法からスタートしたものが、聖橋を通じてアルゴリズミックな手法に発展し、最終的に山田達郎さんの示した方法に収斂した、と考えることもできようか。

 

さて、せっかくなので

これらの曲線を聖橋の東京インフラの写真に当てはめてみよう!! 

※放物線のみ拡大・縮小により写真に嵌め込んでおり、その他の曲線は高さ・幅を調整して嵌め込んでいる。

大きなアーチの部分に当てはめてみると、上図のようになる。楕円と山田守式のアーチは写真に合わせて縦方向を縮めたが、放物線は倍率を変えて嵌め込んでみた。これをみると山田守式のアーチが一番近いのが確認できる。ただし根元部分は多少ズレており、正解とも言い難い。

右上の小さなアーチ部分にも当てはめてみた。楕円・復興局(真中)と山田守式(右)は、どちらも近い。

さきほどの答えにもなるが、道路の部分についても当てはめてみた。

左の写真を見ると、やはり手前と奥で曲線が違っていた。やはり凝ってるなぁ!!曲線としては復興局が近いようだ。

右の写真を見ると、手前部分は山田守の線が近いが、奥は復興局の線が近いようだ。もしかしたら施工の精度の問題もあるのかもしれない。

ちなみに橋の脇にある柵の二重アーチにも当てはめてみたが、こちらは楕円、復興局の線が一番近い曲線に見える。

 

■“神田橋”と山田守の関係は・・・

神田橋
竣工 1925年(大正14年)

東京インフラ017永代橋」に向かう途中に、東海大学のリストに入っていた神田橋へ向かった。この橋に山田守がどのように関わったかの詳細はわからない。

どのあたりに山田守が関わったのだろうか。

この親柱は山田守のデザインのような気もしないではないが。

橋の傍には、山田守と交流のあった太田圓三(帝都復興院土木局長)の碑がある。

聖橋から神田橋の途中、少し道を外れると、山田守設計の建築“互助会ビル(現:内神田282ビル。1963年竣工)”がある。カーテンウォール、仕上げなど当初の立面とは変わっているが、交差点に面する緩やかな曲線は当時を彷彿させる。

 

■どこから見ても美しい“永代橋”

永代橋
竣工 1926年(大正15年)
設計 田中豊、竹中喜義(実施計算)、山田守(意匠の助言?!)、山口文象(照明)

橋の最後を締めくくるのは「東京インフラ017永代橋」だ。

この橋のデザインに山田守と山口文象が関わったと言われている。

二人のデザインの棲み分けはよくわからないが、山口文象が照明を担当したことだけはわかっている。山田守はどのように関わったのだろうか。山田守らしさを探しながら見てみよう!

この橋を特徴づける“照り起くり(てり=反り、むくり=ふくらみ)”のある上端のラインは艶かしい。寺社仏閣でいう唐破風と同じ曲面構成だ。この曲線を正面から見る真横からの遠景シルエットはとても美しい。

中央のアーチ形状は「放物線状の大規模ソリッドリブアーチ」(参照:文化遺産オンライン)なので、ここでもまた放物線が出てくるのだ!

また近くで見ると、この時代の鉄骨構造独特のおびただしい量のリベットも見ものだ(厚い鋼板が無かったため薄い鋼板を重ねリベットを使って一体化して使っている)。建築ではなかなか見ることのできない表情だ。

この“てりむくり”の曲線を、まずは正対して真横から眺めたい!!

とは言いながらも、橋が大きいので真横に立つのも大変です。

(佃島から正対して撮れば、後ろに東京スカイツリーも納められるが、すでに体力の限界!!佃島からのアングルは、「東京インフラ017永代橋」をご覧ください。)

親柱ではなく構造材端部に橋名の銘板があるのも他ではあまり見られないデザイン。銘板も曲面になっている。
この端部の角を曲線(隅丸・角丸)にした納まりは、山田守のいう「消極的な曲線形態」では!?と妄想を膨らます。
鉄骨の部材が道路面から少しだけ頭を出している感じも可愛らしい。実際は大きな部材なのに、まったく威圧感を感じさせない見せ方も秀逸。

もっと曲面を感じたいなら、さらに寄りの絵だ。
桁の上端は“てりむくり”があるが、下端は“てりむくり”の無いアーチだ。
構造的には“てりむくり”は効果があるのだろうか。それとも見た目も考慮したのか!?

車道上に掛かるトラス梁も下端ラインが優美な曲線になっている。
青空と一体化した薄いブルーも綺麗だ。よく見ると塗装が変わっている部分があるが、あそこが、最近補強工事をした高力ボルトが出ている部分なのだろうか(参照:日経コンストラクション)。リベットと馴染んでいて判別しづらい。

ドボ博のメンバーの方から

“橋は下から見ろ!!”

と言われたので(ドボ博座談会パート5パート6をご覧ください)、橋の下にも潜ってみる。かなり低いので、ものすごい圧迫感!!
橋の下のラインも、真ん中が少し高くなった緩やかなアーチのラインを描いている。
橋脚部分の両端にピンの支持があるが、ここを軸にしてバランスを取る構造だ。間近で支持金物を見られるアングルも珍しいのでは。

間近で見ると薄い鋼板を留めるための無数のリベットもそそられる。
上の写真は反りが始まるあたりの部分。

ここにはボルトが使用されている。

鋼板の薄さ、リベット、接合部の緩やかな曲面などが見られる納まり。

 

遠景からディテールのスケールまで、見る方向も真横・正面・下など、どの方向から見ても見所があった。そしてこの橋を印象付けているのは、シルエットから端部まで全体に貫く優美な曲線だろう。それにより、本来なら機能的で構造美が前面に出ることの多い橋梁のデザインにおいて、優美で柔らかい印象を持つ橋へと昇華している。「曲線美」にこだわる山田守の美学とも通じるところがあるものと、私K.Uは確信した。

 


■リンク

「建築家・山田守の住宅」展

日経新聞:重要文化財「永代橋」 アーチ内側から補強で長寿命化

ドボ博:東京インフラ017 永代橋

ドボ博:東京インフラ028 聖橋

文化遺産オンライン:永代橋

 

■参考文献

『山田守建築作品集』山田守建築作品集刊行会。東海大学出版会。1967年。
『建築家山田守作品集』建築家山田守展実行委員会。東海大学出版会。2006年。
『山田守設計による長沢浄水場のデザインに関する研究』大宮司勝弘、岩田竜夫、岩田利枝。日本建築学会計画系論文集 第73巻 第634号、PP.2973-2800。2008年。

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