東京インフラ082 東京タワー

成長の力みなぎる昭和の鉄塔


「タワーの中途に綿菓子のような雲がひっかかっている。目にはみえないがテレビのほかに、FM放送、防衛庁、消防庁、国警などが使っているVHF(超短波)、UHF(極超短波)などが、おぼろ月夜の空をここから四方にひろがって行っているのかと思うと、ちょっと不思議な気がした。」(曽野綾子)

日本電波塔、いわゆる東京タワーは、東京スカイツリーと同様、電波塔としてつくられた。都市を見下ろしながら、先端に付く80mのアンテナから、四方に情報を伝播する。人体でいえば、<中枢神経系>と<末梢器官>間の情報と刺激の伝達を行う<末梢神経>とでもいえようか。

東京タワーは、建設当時、自立式鉄塔として世界一の高さを誇っていた。4本の脚を広げ、曲げモーメントの線形をストレートに表現した構造むき出しの外観に、紅白の色をまとっている。形・色ともに明快な合理性をもつ、高度成長期の鉄製大構造物らしいデザインである。技術的には、荷重で脚が開かないよう、あらかじめ加熱膨張して引張力を増大した鉄筋で脚の端部を結ぶという、特殊なアイデアも採用されている。

「東京タワーは、縄文時代以来の死霊の王国のあった、その場所に建てられたのである。おびただしい人命を奪った東京空襲の傷跡もなまなましく、そこは荒涼とした空き地と化していて、まさに野ざらしになった死霊の王国跡だった。その土に穴を掘って土台を固め、死者たちに支えられるようにして、東京タワーは天に向かって立ち上がるのだ。しかも、鉄塔の重要な構成部分をしめているのは、たくさんの人の命を呑み込んだ戦争の現場から持ち帰られた戦車をつぶした鉄材である。」(中沢新一)

歴史に潜む死のイメージは想像力をかきたてるが、目の前にそびえる、技術立国ニッポンを象徴するこの昭和の鉄塔は、どこまでも明るく健康的である。(北河)

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引用
曽野綾子:ふるさと文学館 第15巻、ぎょうせい、1995.
中沢新一:アースダイバー、講談社、2005.

種別 電波塔
所在地 東京都港区
構造形式 鋼製
規模 高さ333m
竣工年 1958年
管理者 日本電波塔株式会社
設計者 日建設計
備考 登録有形文化財
文化遺産オンライン
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