東京インフラ021 江戸橋ジャンクション

Junction where “technology sprouts” before the WWII bloomed


普通、高速道路のジャンクションは、周りの田園風景と共に眺め、通り抜けるものである。しかし首都高の場合、あまり悠長なことは言っていられず、両側に高層ビルが迫る中を、ハンドルを切ってすり抜けることになる。また、街中を歩きながら、巨大ジャンクションを下から見上げ、それに触わることさえできる。それを迫力と感じるか、圧迫感ととらえるか、また都市の活力の象徴とするか、阻害物とするか、捉え方は様々で、唯一つの評価はありえない。ただ確かなのは、都心のジャンクションが、東京の風景を特徴づけるインパクトを持っている、ということだと思う。

中でも首都高建設最初期の特徴的なジャンクションが、江戸橋ジャンクションである。ここでは、四方から接続する道路が上下4層の高架橋に集約され、幅約50mの土地の中で器用に分岐と合流が行われる。前例のない構造物の建設。もちろん、その実現は一筋縄ではいかなかった。

まず単純に計算すると、ここには約100本の橋脚が必要だったという。しかし、それでは下を流れる日本橋川に柱が林立し、流れも眺めも遮られてしまう。そこで、橋脚の上に単に桁を載せるのではなく、それらを縦横、上下にがっしりと繋ぐ、立体ラーメン構造を採用し、橋脚の数を約1/3に減らしたという。円い柱に四角い桁を繋ぐという、寺院建築(柱と貫)では古くから用いられてきた技術だが、鉄骨造で、かつ、重量物が上を通る橋梁でこの構造を使うのは、初めてのことだった。

また、空中の隙間を縫うような高架橋の設計の自由度を高めるため、形が三次元的に変化する曲線桁が採用された。曲線桁は、ねじれに強い筒状の箱桁構造とし、さらに高い精度で鋼材の曲面を作り出すため、東京タワーでも使われていた当時一般的なリベット結合ではなく、溶接結合が全面的に採用された。

ラーメン構造、曲線桁、溶接。技術のひとつひとつは、すでに戦前・戦中から個別に開発されたものである。江戸橋ジャンクションでは使われなかったが、首都高3号線で用いられたプレストレスト・コンクリート技術にも同じことが言える。それらが、戦後の国家プロジェクト・首都高建設において一気に花開き、その後、各地に伝播していった。

江戸橋ジャンクションは、新たなタイプの交通結節点であったわけだが、今その歴史を振り返れば、現代技術の様々なつぼみを開花させて各地に広めた、技術史上の「結節点」でもあったといえよう。(北河)
 

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種別 ジャンクション
所在地 東京都中央区
構造形式 鋼製 T字形
建設年 1963年
管理者 首都高速道路株式会社
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