東京インフラ037 隅田公園

HとXと<肺>


隅田川の左岸と右岸に対でつくられた公園。「公園は都府の肺臓なり」(幸田露伴)とするならば、<背骨>(隅田川)の左右に配された隅田公園は、まさに<肺>そのものである。昭和前期につくられた中では、東京で最大の公園でもあった。

「新しい隅田公園は、・・・ボオト・レエスのコオスを河岸に沿うた、アスファルトの散歩道だ。」(川端康成)

この公園の最大の特徴は、川を挟んでつくられるというその立地にあるが、その他にも2つの大きな特徴があった。まず、ボートの艇庫や、飛び込み台付きプールなど、都内随一の臨水公園のイメージを活かしたウォータースポーツ場として整備されたこと。同時期につくられた陸上スポーツのメッカ・明治神宮外苑とよい対照をなしている。ただ、今その面影はない。

第2の特徴は、「アスファルトの散歩道」が一体化したパークウェイを備えていたこと。これも、明治神宮内苑と外苑を結ぶ裏参道に比肩しうる存在である。ちなみに、設計には共に技術者・折下吉延が関与している。隅田公園にとって、このパークウェイは、近代の交通の犠牲になっていた徳川吉宗以来の桜並木の復活も意味していた。ただ、首都高建設の折に道路が再整備され、今や当初の公園と道路の一体性は失われている。

左右の<肺>は、2つの橋で結ばれている。まず、

「河岸公園たる新隅田公園の風致に合わされて水平な一文字」(今和次郎)

を描く言問橋(1928年)で、モダニスト川端は公園と「美しいH」をなすと表現している。

「中之島公園なんかより段ちがひに近代的です。これは直線の美しさです。白紙に描いた設計図を見るやうに、装飾がなくて、清潔です。美しいHです。」(川端康成)

上流にはもう一つ、1985年にX形の桜橋がつくられている。<両肺>の管理が、都から台東区と墨田区で左右に分かれた10年後に建設された。

HとX。建設後の紆余曲折を経て、当初の設計意図が見えにくくなってしまった大公園だが、このまるで暗号のような装置で、左右の<肺>はまだかろうじて繋がっている。(北河)

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引用
今和次郎:新版大東京案内、中央公論社、1929
川端康成全集第4巻、新潮社、1981.
川端康成全集第26巻、新潮社、1982.

種別 公園
所在地 東京都台東区・墨田区
規模 面積18.8ha
竣工年 1931年
管理者 台東区・墨田区
設計者 国(内務省)
建設概要建設写真竣工写真言問橋設計図言問橋建設写真言問橋絵葉書コレクション
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