四国インフラ049 臥龍山荘

名医が執刀した庭園


明治時代、肱川は木蝋や生糸を舟運にて運ぶ一大物流路であった。肱川が流れる大洲出身の豪商川内寅次郎は、こうした舟運を利用した貿易業で成功し、肱川流域屈指の名勝地とされた「臥龍」と呼ばれる土地を購入、大洲の棟梁・中野虎雄と京都の名大工・草木国太郎らとともに10年余りの歳月をかけ、庭園を築いた。

庭園内に建てられた不老庵に入ると、その目に悠々と流れる肱川、そして尊大に構える冨士山、梁瀬山、亀山などをはじめ、周囲の雄大な自然が飛び込んでくる。中野や草木は、川の景、山の景に代表される大洲の<骨格>を最大限生かし、臥龍を<施術>していたのだ。

庭園の細部に目を向けてみれば、不老庵の裏に生える槙は、地面に生えたまま軒桁を支える捨て柱として利用され、黒門脇の石組みは、自生するチシャの木が生きた状態で取り込まれている。そう、稀代の名医たちは、<インプラント>の使用を極力抑え、臥龍がうまれもった<細胞組織>を巧みに利用した執刀を徹底したのである。これぞまさに名医がなせる技である。 (白柳)

 

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参考文献
矢ヶ崎善太郎監修:水郷の数寄屋臥龍山荘,愛媛県大洲市,2012.

種別 庭園
所在地 愛媛県大洲市大洲
竣工 明治40(1907)年
管理者 大洲市
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