四国インフラ034 尾根における生活の場:石積み・棚田3

総合的な知恵と技術


主に19世紀以降、山の斜面に水路を整備し、山林の一部や段々畑を棚田にするようになり、元々は水量が少ない尾根筋が一面壮大な棚田になった。張り出した地形一面が耕作地となり、生産効率は上がるが、水路が破損したり土砂が溜まるなど水が通らなくなると耕作が難しくなるという側面もある。
水路やトンネルを開削する際にはたくさんの人手を要し、技術力が必要であった。工事を手がけた者の中には、他の地域へも出向く石工や大工の職人がいたと考えられる。一方で田畑の開墾や石積みをつくるに当たっては、維持管理を生活している者がする必要があるため、限られた職能ではなく、百姓を営む者が技術を有し、農業など多様な生業を持ちながら工事を行なっていたと考えられる。生活の場を維持するために、それを手入れする技術は脈々と<代謝機能>のように変わりゆく人々とともに伝えられていった。(金子)

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参考文献

海老沢衷:荘園公領制と中世村落, 校倉出版,2000.

NPO法人棚田ネットワーク編:全国棚田ガイド TANADAS,家の光協会,2017.

種別 棚田・段畑
所在地 堂の坂の棚田:愛媛県西予市城川町 奥内の棚田:愛媛県松野町蕨生 梼原の棚田:高知県高岡郡檮原町 吉延の棚田: 高知県長岡郡本山町 樫谷の棚田:愛媛県大洲市樫谷
規模 堂の坂の棚田:耕作面積1.5ha 奥内の棚田:耕作面積14ha 梼原の棚田:耕作面積2.2ha 樫谷の棚田耕作面積0.6ha
備考 奥内の棚田:平成11年 日本の棚田百選 梼原の棚田:平成11年 日本の棚田百選
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