四国インフラ029 高知城

河の中に佇む、かつての<脳>


広大なデルタ地帯である高知平野には、ところどころに小山のような微高地が突き出ている。鏡川の北側に突き出たひときわ大きな小山−大高坂(おおたかさ)山−に築城されたのが高知城だ。大高坂は、南の潮江川(鏡川)と北の江ノ口川(大川)に挟まれた中州状の場所にある。かつては大高坂山城と呼ばれる城があったものの、16世紀、土佐国を支配した長宗我部氏は、東側一帯に広がる湿地帯の水はけの悪さを嫌い、太平洋に面する桂浜至近の浦戸城を主たる居城に選んだという。関ヶ原の合戦の後、遠州・掛川より転入してきた山内一豊は、城下町を築くために有利な内陸側のこの地を選び、大規模な治水工事を行って城下の町割りを整え、晴れて慶長8(1603)年に本丸が完成した。付けられた名は「河中山(こうちやま)城」といい、南北を河川に挟まれた大高坂山にある城、という地勢をそのまま表している。これが後に「高智城」、「高知城」と改名されていく。

城とは、かつての<脳>であろう。国を守り育てるための意志決定を行ってきた器官だ。ここ土佐の国では、その<脳>の位置や名に高知平野の「水」という<身体性>が深く関わってきた。
その<脳>は現在、市民に開かれた公園になっている。明治維新を機に本丸と追手門以外の建物が取り壊され明治6(1873)年、公園化されたのだ。<脳>の役割は、近代化とともに城から県庁・市役所へと移り代わり、城の麓へとわずかに位置をずらして存在している。水との戦いに勝利したかつての<脳>は、いまは高知都心部において貴重な緑を創出し、市街へと酸素を送り続ける<呼吸器>となっている。(尾崎)

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参考文献

土佐史談会・高知市教育委員会(民権・文化財課)編:改訂版 高知城下町読本,高知市(観光振興課),2017.
高知市史編さん委員会 絵図地図部会編:描かれた高知市 高知市史 絵図地図編,高知市,2012.

種別 公園・城郭
所在地 高知県高知市
規模 高知城:六重 高知公園:10.5ha
竣工 寛延3(1750)年(初代は慶長16(1611)年)
管理 高知県
設計者 百々越前守安行親子
備考 昭和25(1950)年重要文化財
高知公園
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