四国インフラ008 第十堰・第十樋門

吉野川の2大<関節>


阿波の<骨格>吉野川には、大きな<関節>が2つある。第十堰と第十樋門である。

第十堰の前身は、宝暦2(1752)年に築堤された新川せき止め堰。徳島藩が舟運の便を図るためにおこなった吉野川(現・旧吉野川)と別宮川(現・吉野川)間の新川堀抜工事の影響で、吉野川の水量が減り生活に支障を来していたため、下流域の村々が藩に新川せき止め工事を嘆願してつくられた。大量の松杭を河床に並べて打ち込み、杭と杭の間には石を詰め込んだ蛇籠をはめこむ作業が延々と繰り返され、吉野川の水量を回復させるための<関節>が完成した。その後も新川の拡大により何度かの増改築がおこなわれ、現在の姿は昭和40年代にコンクリート補強されたものである。

大正12(1923)年、それまで第十堰にあった吉野川と別宮川の分派点を約1km上流に付け替え、北に向かう吉野川側につくられたのが第十樋門である。同時期には別宮川の川筋を改良し本流とするための連続堤防も完成し、阿波の<骨格>吉野川は大変身を遂げた。これらの施設が整備された吉野川第一期改修工事には、明治政府のお雇い外国人ヨハネス・デ・レイケ(1842~1913)が『吉野川検査復命書』の中で述べた考えが踏襲されている。

第十樋門は、平常時は門扉を開放して下流の用水並びに舟運の便を図り、洪水時は門扉を閉鎖して下流及び分流の氾濫を防止する等の役割を担っており、流水量を調整する重要な<関節>だ。径間18尺(5.5m)、高さ19尺(5.8m)の樋門を6連併置し、鉄製門扉を巻上機によって操作する仕組み。完成当時は日本最大級の樋門として見学者で賑わったそうだ。樋門の端には水尺小屋と呼ばれる水位観測施設として使用されていた建屋が残っており、樋門と共にその風格ある佇まいで今日も吉野川を見守り続けている。(板東)

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参考文献

建設省四国地方建設局徳島工事事務所編:吉野川百年史,建設省四国地方建設局徳島工事事務所,1993.
四国の建設のあゆみ編纂委員会編:四国の建設のあゆみ,四国建設弘済会,1990.
土木学会:土木コレクションHANDS+EYES,土木学会,2014.

種別 堰 水門
所在地 徳島県板野郡上板町 名西郡石井町
構造形式 第十樋門:鉄筋コンクリート水門(スルースゲート)
規模 第十樋門:径間18尺(5.5m)高さ19尺(5.8m)の樋門が6連併置
竣工年 第十樋門:大正12(1923)年
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