東京インフラ072 明治神宮内苑・外苑、代々木公園、新宿御苑

都心西部の巨大な<肺>


明治天皇崩御後、神宮の東京鎮座が決定すると、内苑は国により南豊島御料地に、外苑は民間の手で青山練兵場跡地に設けることとなった。
土地本来の樹種である広葉樹を用いた人為による森厳の神苑「永遠の杜」づくりは、針葉樹が常識とされた当時の常識を覆す画期的出来事であったばかりでなく、全国規模で展開した10万本を超える献木、延べ11万人もの全国の青年団による勤労奉仕が実現した国民的運動でもあった。

一方外苑には、「一日ヲ優悠自適セシムル」空間として、運動施設と広大な芝生広場が設けられた。外苑の最も主要な道路として計画された聖徳記念絵画館前通りは、両側に植樹帯と歩道を設け、4列のイチョウ並木が配された。青山通りから徐々に高さが低くなるように演出されたヴィスタ景は、外苑銀杏並木として東京を代表する道路景観となっている。ワービット工法を利用した日本初のアスファルト舗装が施されたことも記憶しておきたい。
現在の裏参道は、当初内苑・外苑・御苑を結ぶ主要な表参道として考案され、乗馬道と植樹帯を備えたパークウェイとしてつくられた。現在は首都高速道路の用地に転用され、往時の姿を見ることはできない。

代々木御料地に隣接した代々木練兵場は、戦後接収を受けGHQ将校住宅用地(ワシントンハイツ)となったのち返還されオリンピック選手村となったが、その後森林公園を整備することがあらかじめ想定されていた。明治神宮内苑と連なる一大緑地からは、かつて不毛原野と言われた代々木の原の姿を想像することは容易ではない。

代々木の緑地と新宿御苑は、ともに渋谷川という水系を形成する。四谷大木戸から玉川上水の余水が吐かれ、新宿御苑内の玉藻池からの水が渋谷川の水源となっている。一方、明治神宮南池を水源とする支流は参道橋付近で本川に合流する。

新宿御苑の造園を手がけた宮内省御料局技師・福羽逸人は、新宿御苑と代々木御料地をつなげ、一体とした緑地を構想していた。これは結果的に明治神宮のための土地を確保することにつながるのだが、外苑並木のイチョウは新宿御苑の銀杏を明治神宮内苑で育成したものから選抜し植樹されたというエピソードも、両者の”切っても切れない”関係をより濃密なものにしているように思われる。(土井)

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