東京インフラ063 京浜・京葉工業地帯

工業国ニッポンのエンジン


東京湾の左右二葉からなる器官。グリコーゲンの生成・貯蔵、胆汁の生成、有毒物の解毒など多様な機能を担う<消化器系>で最大規模の<肝臓>にあたる。幕末の石川島をはじめ、海との際は、常に工業化の最前線だった。

京浜臨海部の工業地帯開発は、1896年、欧米の港湾都市で目にした大工場群とその岸壁に大型船が横付けされ原料や製品の積み下ろしの光景を見て「今後、臨海工業都市が必要になる」と確信した実業家・浅野総一郎の「臨海工業都市構想」を端緒とする。東京と横浜に二大港湾を築き、その間に大運河を開削、そしてその中間にあたる川崎ー鶴見地先に大規模工業地帯を建設しようという浅野の計画は、資金面では渋沢栄一や安田善次郎といった経済界の雄を、技術面では廣井勇をはじめとする第一線の港湾工学を後ろ盾にしたもので、あくまでも民間の力による理想の工業都市実現を目指すものであった。
一万トン級の船舶が接岸できる岸壁、電力の供給、鶴見臨海鉄道(現鶴見線)など基盤施設整備、さらには学校(現浅野学園)や遊園地などを含めたまさに総合的な「都市構想」を描いた浅野らの事業は、日本における工業ディベロッパーの先駆けでもあった。

欧州のように河畔を掘り込んだ堀込式港湾ではなく、自然海岸において浚渫によって工業港を構築し、浚渫土砂を利用した埋め立てによる「浚渫埋立造成型」の工業地帯形成手法は、その後戦中戦後にかけて全国に伝播した。

京葉臨海部では、戦前期から東京築港計画と併行して検討され始めた工業地帯の造成が、戦後復興による急激な人口増加と経済成長を背景に推進された。

工場周りに張り巡らされた運河や廃線となった貨物専用軌道は、地盤沈下が進む工業地帯に埋め込まれた多様なリニアな空間であり、再生の可能性を秘めた<毛細血管>として息づいている。(土井)

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種別工業地帯
所在地東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県
規模約2万ha

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