東京インフラ051 羽村取水堰

今に生きる伝統のリスクマネジメント


「(水道は)江戸という、人口世界一の都市をささえた血管といっていい。・・・上水道については、江戸はロンドンやパリにくらべてほぼ同時代に出発し、土木構造の上からみても、偶然似かよっている(紀元前のローマ帝国の上水道については、べつな目でみなければならない)。ただ、江戸の歴史は、ロンドンやパリより新しい。・・・家康の場合、都市建設と同時にやった。」(司馬遼太郎)

家康入府直後につくられた赤坂の溜池と神田上水が容量不足に陥り、家光以降の時代に計画・建設されたのが玉川上水である。この新たな水道施設は、江戸から昭和前期までの間、江戸・東京の<血管>として機能し続けた。約3世紀にわたり巨大都市を支え続けるという、このインフラの先見性と確実性には、改めて驚かされる。

技術的なポイントはいくつかあるが、その一つが取水施設・羽村堰である。まだコンクリートが普及する前、石と土と木だけで、どのように大河川を堰き止め、取水したのか。まず、多摩川の湾曲部分に川を横断するように堰を設け、流れのゆるいカーブの内側には、木枠(牛枠)を固定して川を堰き止め、流れのはやい外側では、急流時に流れに逆らうことなく、支柱を残して堰が流れ去るような構造をつくりだした。ひたすら構造体の破壊を回避するのではなく、部分的な破壊も含めた全体的なマネジメント。自然のパワーを見極め、それをコントロールしながらも、巨大な力に無理に逆らわないしなやかな構造で、何百年も持続する取水システムをつくり出した。

この仕組みは、近代の改良工事でもそのまま踏襲された。支柱は表面石積のコンクリートで固められているが、堰板には今も木材が使われている。今に生きる伝統の知恵、また構造物のリスクマネジメントについてふと考えさせられる、貴重なインフラである。(北河)

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引用
司馬遼太郎:街道をゆく33奥州白河・会津のみち、赤坂散歩、朝日文芸文庫、1994.

種別 上水道取水堰
所在地 東京都羽村市
構造形式 コンクリート造・木製
規模 延長250m
竣工年 1911年改築
管理者 東京都
備考 土木学会選奨土木遺産
選奨土木遺産

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