東京インフラ005 新永間市街線

東京駅のレッドカーペット


東京駅のやや北から新橋駅のやや南まで達する赤煉瓦アーチの高架橋は、現在も山手線と京浜東北線の電車が複々線で往復している。わが国最初の高架鉄道は、1904年に完成した本所(錦糸町)~両国橋(両国)間であったが改築されて現存せず、1900年に着工して1910年に完成した新永間市街高架線は、中央本線の神田-御茶ノ水間で現用中の紅梅河岸高架橋(1908年開業)に次ぐ古い鉄道高架橋ということになる。

「新永間」の名は、浜松町付近の「新銭座」と、東京駅北側の「永楽町」を結んだことから付けられた建設時の名称で、現在は「東京高架橋」と呼ばれている。この高架鉄道は、南の玄関口であった新橋と、北の玄関口であった上野を直結する鉄道として、1884年頃の市区改正意見書で提案され、市区改正委員会の審議を経て完成した。

高架橋の設計は、ドイツからフランツ・バルツァーを招いて指導を受け、ベルリンの高架鉄道と同様に、煉瓦構造の連続アーチを基本として、道路との交差部のみに鉄桁を用いた。鉄桁は列車通過時の騒音が大きいため、バックルプレートと呼ばれる鉄板で床面を被い、内部に砕石を敷き詰めて線路を敷設した。

新永間市街高架線は、1909年に烏森(現在の新橋)までが完成し、翌年には東京駅の北側に設けられた呉服橋仮駅までが全通した。そして、1914年には東京の<心臓>とも言うべき中央停車場(東京駅)が完成し、新永間市街高架線は東京駅へ至るレッドカーペットとなった。(小野田)
 

この物件へいく

種別鉄道高架橋
所在地東京都千代田区・港区
構造形式煉瓦造アーチ 鋼製桁
規模延長4km
竣工年1909年
管理者JR東日本
設計者国(鉄道院)
備考土木学会選奨土木遺産
建設概要選奨土木遺産技術解説

Leave a Comment

Back To Top