東京インフラ016 木場公園

橋のメッカ深川の新たな歴史の1ページ


都市の建設に材木は欠かせない。江戸建設の際も、大量の材木が使われた。

その流通を担う貯木場は、まず工事現場に近い江戸城周辺に設置された。しかし、江戸の大火後、都心のリスクを回避するために、それらは川向こうの深川に移設された。埋立地の間に広がる水面に、官民の貯木場が集約されたのである。

「世界の首都で、江戸ほど火事の多かった都市はない。自然、材木問屋がもうかった。近代以前では材木問屋は巨大資本というべきものだったから、その根拠地である深川という土地の存在は大きかった。」(司馬遼太郎)

「何と云ってもこの木場は、全国的に材木の集散地で、・・・外から横浜港についたもののうち90%まではここにもって来られ、残りの10%もこの木場の商人の手で各方面に捌かれるのである・・・。」(今和次郎)

貯木場をつなぐ迷路のような水路には、数多くの橋がかけられた。特に関東大震災以降、木場周辺では集中的に橋が架けられ、それらが深川を知る大切な道しるべとなった。

「東京の地理になれないタクシー運転手さんは、先輩から、「山の手は坂で憶えろ、下町は橋で憶えろ」といわれてきている。」(司馬遼太郎)

「橋ばかりがむやみに眼につく。それはつまり川が多いからだ。どの道を行っても、どの露地を入っても、水に沿ふか、水に突きあたるかである。黒くにごった水だ。そして必ず橋がある。」(今和次郎)

今和次郎の描く深川は、まるでヴェネチアのようだ。

この木場にも、ついに埋め立てられる日が訪れる。もともとゴミ埋立によってつくり出されたこの独特な空間は、昭和のゴミ埋立の最前線である「夢の島」の脇にその機能を移す(1969年)。こうして江戸初期から続いた深川近辺の埋立にほぼ終止符が打たれる。

埋立地のうち、かつて幕府直営の貯木場のあったあたりが木場公園として利用されている。そして、ここにプレストレスト・コンクリートを用いた斜張橋が建設された(1991年)。実はこの橋には、締固めを必要とせず、複雑な形状の型枠でも隅々までいきわたる高性能流動化コンクリートコンクリートが先駆的に用いられている。さらに型枠には、ガラス繊維が使われた。これらの技術は後に、支間長世界最大の吊橋・明石海峡大橋の建設に生かされることになる。

主塔が際立つこの人道橋は、いくつもの小さな橋が地域の結びつきを生んできた下町木場、深川にはいささか不釣り合いにみえる。しかし、このそそりたつ主塔に、世界的橋梁の誕生に結びつく物語が隠されているとすれば、それは橋のメッカ・深川にふさわしい歴史の新たな1ページといえるのかもしれない。(北河)

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引用
今和次郎:新版大東京案内、中央公論社、1929.
司馬遼太郎:街道をゆく36本所深川散歩・神田界隈、朝日文芸文庫、1995.

種別公園
所在地東京都江東区
規模面積24.2ha
竣工年1992年開園
管理者東京都
設計者東京都

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