東京インフラ014 小名木川・小松川・船堀閘門

荷風の風景


荒川放水路は、市街地の外側につくられたが、それでも長さ22km、幅500mに及ぶ水路をつくるのに、既存の集落やインフラを避けて通ることはできなかった。国土交通省のデータによると、放水路建設に伴い、22の社寺と約1300世帯が周囲に移転したといい、近くの川や運河も、その接合部において改変が加えられた。<手術>が大げさになるほど、周りの<皮膚>、<血管>、<臓器>などにかかわる付随的な<施術>が増えるのと似ている。

荒川放水路での付随的な施設としてよく知られているのが、船の通過時に、川の水位差を調節するためにつくられた閘門である。放水路が、江戸時代に開削された小名木川と交差するあたりに、集中して計3基つくられた。最初につくられたのが小名木川閘門で、これは青山士の下で働いていた新進気鋭の技術者・宮本武之輔が、鉄筋コンクリート技術を追求して建設したシンプルな閘門であった。これに対して、小松川と船堀には、鉄筋コンクリートをもちいながらも、欧州の古城のモチーフをおもわせる装飾的な閘門がつくられた。

「重い扉を支へる石造の塔が、折から立ちこめる夕靄の空にさびしく聳えている。其形と蘆荻の茂りとは、偶然わたくしの眼には仏蘭西の南部を流れるロオン河の急流に、古代の水道(アクワデク)の断礎の立つてゐる風景を憶ひ起こさせた」(永井荷風)

荒川放水路をフランスのローヌ川に、閘門を古代ローマの水道橋に見立てた荷風一流の描写である。隅田川界隈から失われつつあったいにしえの情緒を、荒川放水路に見出そうとした荷風の思いが、ここに表現されている。今は、荒川ロックゲートが閘門機能を引き継ぎ、小松川閘門の一部は廃墟として草むらに佇んでいる。

一方、今から約330年前、小名木川の反対側、隅田川と交わる地点に住まい、詩作に興じたのが芭蕉である。荷風といい、芭蕉といい、下町を貫くこの人工河川には、詩情をそそる不思議な霊力でも潜んでいるのだろうか。ここで芭蕉は、「古池やかはづ飛び込む水の音」の句を詠んだといわれる。(北河)
 

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引用
荷風全集第17巻、岩波書店、1964.

種別閘門
所在地東京都江東区・江戸川区
構造形式鉄筋コンクリート造 閘門
規模延長90m(小名木川) 75m(小松川) 91m(船堀)
竣工年1926年(小名木川) 1930年(小松川・船堀)
設計者国(内務省)
小名木川閘門計画概要小名木川閘門建設概要小松川・船堀閘門建設概要船堀閘門建設概要宮本武之輔アーカイブ

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