東京インフラ084 外濠

江戸時代の山手線


皇居(江戸城)を中心に環状に広がる、かつての江戸の防衛線。濠に張られた水面と、見附での往来の制限によって、都市の重要な境界線となっていた。江戸時代には、江戸の地理を認識するための、重要な目印だったと考えられる。今でいうと、JR山手線のようなものだろう。

外濠は、神田川と同じように、大きな<外科手術>を経てつくり出された。しかし、川と濠とでは、<手術>の方法が多少異なる。外濠で、最も大規模な掘削が行われたのが、濠の最高地点である四谷付近の真田濠。神田川と違うのは、ここから単に水を流下させるのではなく、レベルの異なる水面を階段状に配した点にある。丘陵に築かれた棚田のように、急こう配の地形であっても静かな水面が連続する。

外濠への水の供給源の一つが、武蔵野台地の尾根筋を伝って延々流れてたどり着いた玉川用水である。これが、真田濠あたりで外濠に注ぎ、外濠の<循環機能>を高めている(なお、玉川上水はここから2つに分岐して、江戸城内と京橋以南の町人地に水を供給していた)。つまり真田濠は、実にスケールの大きい、江戸の総合開発の跡であり、今その近くに土木学会が本部を構えているのも象徴的である。

この偉大な東京の<骨格>は、明治以降、都市の防衛線としての役割を失い、徐々に姿をかえていく。鉄道・道路用地に利用された他、都市公園建設や戦災の残骸処理のため埋め立てが進められた。

「外濠は電車線路が敷かれ、水が消えてからその特性をうしなった。しかし一部分はなお魅力を蔵している。旧赤坂離宮から赤坂見附の一帯がそれだ。そこには水の上に傾いている樹々があり、弁慶橋も昔どおりの欄干を再建した。山王の高台の下にあって、溜池や虎の門に通じていた濠はおそらく相当に美しいものであったろう。」(ノエル・ヌエット)

「東京は水の流れを失ってしまったように見えて、別のかたちの水の流れをつくりだしているのではないか。ぼくたちが想像力を少し働かせるだけで、溜池山王はもとの水路に変容していく。」(中沢新一)

外濠の改変が進み、様々な重要インフラが重層的に築かれた今の東京において、外濠は、地理的目印としての役割をほとんど失ってしまった。しかし、現場に足を運べば、その偉容はまだまだ健在である。(北河)

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引用
ノエル・ヌエット:東京のシルエット、法政大学出版局、1973.
中沢新一:アースダイバー、講談社、2005.

種別
所在地東京都千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区
構造形式土構造
規模延長約14km 高低差約20m
竣工年1639年
備考史跡
文化遺産オンライン

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