東京インフラ055 多摩川

武蔵野の<背骨>


ロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川とくれば、東京では隅田川ということになるだろう。ただ東京の場合、もう一つ重要な川がある。多摩川である。この川は、広大な武蔵野台地をかたちづくり、武蔵の母なる川と呼ぶにふさわしい歴史を歩んできた。いわば東京台地の<背骨>である。

「(多摩川の)沿岸が、東京のいちばん古い歴史発生の舞台であり、もっとも長い歴史の積みかさねの場所であることを知っている人は、あんがいすくない。・・・東京では、この付近がいちばん古墳群の多いところであることはおもしろい。・・・この生長に大きい役割をはたしたのが、高麗系の帰化人の移住であった。・・・彼らが最高の生産技術の総力をあげて、この付近の開拓をおこなったものと思われる。・・・6、7世紀以後、多摩川は武蔵の中心であったが、この開拓は、さらにもっとまえからおこなわれていたふしがある。・・・かつて、東京でいちばん大きい弥生文化の大集落のあとがあった。・・・しかし、多摩川の沿岸は、さらにそのもうひとつまえの、石器時代の文化も栄えたところである。・・・石器時代の縄文土器の出る遺跡は、その南北両岸にはずっと奥の西多摩郡まで点々と分布していて、江戸の街ができる以前の東京文化は、むしろ、石器時代がいちばんの盛期であったような感じがするくらいである。」(松本清張・樋口清之)

大正期から昭和前期にかけて行われた大規模な河川改修工事によって、<背骨>が矯正され、周辺の<肋骨>・<循環器系>もあわせて整えられた。その主な成果である六郷水門(1931年)と川崎河港水門(1928年)は<肋骨>との分節点にあり、独特の造形で異彩を放つ。羽田や川崎には煉瓦堤防も残る。堤防に煉瓦を使うというのも、全国的に見て珍しい。

「五十間鼻の所で曲折した道をずっと進んでいくと、やがて左手に低いレンガ塀が見えてきます。これは昭和初期に築かれた堤防の名残りで、年季の入ったレンガの風合いと所々に設置された2~3段の石段がなんとも可愛らしい。」(泉麻人)

先史時代から現代、土器・古墳から煉瓦・水門まで、なんとも見所満載のインフラである。(北河)

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引用
松本清張、樋口清之:東京の旅、光文社文庫、1985.
泉麻人:大東京23区散歩、講談社、2014.

種別河川
所在地(本流のみ)東京都大田区・世田谷区・狛江市・調布市・稲城市・日野市・国立市・立川市・昭島市・八王子市・あきる野市・福生市・羽村市・奥多摩町 神奈川県川崎市、山梨県丹波山村・小菅村
規模延長約138km
管理者国(国土交通省)
改修工事概要

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